見落としがちな海外のリスク
こんにちは
ケイタです。
今日は、海外のリスクに関する過去の報道を見つけたので、そ
れについて思うことを書いていきます。
あなたは海外におけるリスクは、どんなものが想定できますか?
私が想定するのは、
盗難、病気、事故、トラブル、ビザが下りないなど。
最悪の場合は、どこかで拉致や強盗にあい、死んでしまうことかと思います。
いや、そう思っていました。
ですがそれ以外にも、死ほど最悪ではないが(ある意味死んだ方がマシ状態になるかも)、
病気や窃盗、事故よりもキツイのではないか?という事例があることに気付きました。
それは、バッシングです。
あなたはニュースキャスターの辛坊治郎さんをご存知ですか?
2013年ごろ、彼はヨットで盲目の男性と太平洋横断をしようとしましたが、
ヨットが浸水、沈没したため、出航1週間程度で断念、
海上自衛隊に救出を要請しました。
命からがらの帰還の先に待っていたのは、自己責任を立てかけたバッシングの嵐。
メディアやネットの住民らは、彼の救出の為多額の税金を使ったことに対して、「自業自得なんだから辛坊は自分でかかった費用を払うべきだ!」と強く批判。
これにはかなり参ったと、彼自身どこかの記事で語っていました(救出後の記者会見でも相当疲弊していた)。
最近、太平洋横断をついに成し遂げたという彼の記事をみて、多くの苦境を乗り越えて自分の人生を体現したのだなと感慨深くなりました。
国境ボランティアと言えども、自己責任論は影のように付いてきます。
2004年、邦人3人がイラクの武装集団に人質として捕らえられました。
人道支援、劣化ウラン弾の調査などを目的に渡航した彼らでしたが、
人質とされてしまった結果、その志の報酬は裏目に出てしまいました。
人質にされていた当時18歳だった今井さんは、故郷に戻ってきた後も、電話や手紙など、さらには直接街中で罵声を浴びせられることも何度もあったと話しています。
一緒に人質にされていた高遠さんも、世間に迷惑をかけたとして家族共々激しいバッシングにさらされました。人質の時に拘束されていた緊張感と、解放後の痛烈な批判が重なった悪夢に今でもうなされると、彼女は吐露していました。
そんな出来事のあった2000年初頭、世間は派遣切りやリーマンショック、同時多発テロやイラク戦争、格差社会の顕在化など、分厚く暗い空気に覆われていました。
そんな当時からよく聞くようになった「自己責任」と言う言葉。
私は旅は自己責任だと思います。
旅先で何が起きようと、行くと決めたのは自分。準備や道中の選択や行動の報いは、全て自分に返ってきます。
だからこそ私は、責任と言うものを強く意識せねばならないと思います。
旅と言うものは、必ずといって良いほど、人に助けられることがほとんどです。
助けられるより助けた回数の方が多い旅はまずないでしょう。
だからこそ、準備や段取りはしっかりしておかなければ、その分現地の人々に迷惑をかけてしまう回数も多くなります。ひいてはそれが匿名を名乗る人間にとって、揚げ足を取る格好の材料となってしまいます。
そして全ての旅人、冒険者が必ず果たすべき責任は「生きて帰ること」。
道中、どうしようもないトラブルに巻き込まれることもありますが、
そのリスクは事前の準備や下調べで下げることは出来ます。
「自分だけの問題だから関係ない」とも言えそうですが、自分を必要としている誰かにとっては関係ないことではありません。特にスポンサーなどもし付いてくれた場合には、生半可な気持ちでやって帰国せざるを得ないミスでも犯せばそれこそバッシングの対象となってしまうでしょう。
旅は出てしまえば意外と何とかなってしまうものですが、自分の身を守る為、さしてはより楽しい旅をするため、準備はしすぎて損は無いはずでしょう。
と、偉そうに散々能書きを垂れましたが、私自身まだまだ準備が未熟で、リスクも把握し切れてない箇所が山ほどあるので、自分の意識づけの為にも書きました(^^;
読み返してみて、文章のまとまりがすごく悪い感じがしますが←、書き続けながらコツを覚えていくしかなさそうですね。。。
読んでくださり、ありがとうございました(^^)