2度目の日本一周を終えて、半月以上が経った。今回の旅の感想をざっと言うと、まだまだ見残しが多く、浅い旅であったなぁと反省…。前回の旅で行けてない場所や、47都道府県町を制覇できたのは良かったが、その土地の人に、産業や歴史、食文化や地域の抱えている問題などをそれとなく聞けたらもっと良かったかなぁと思う(資料館で見たり聞いたりした事はざっとメモしたりしたが、あまりポイントは絞ってなかった)。
しかしそれに気づけたのは1つ成長か。もっと旅を通して、この国の事、人間の性、現代の日本人の関心などを見ていきたい。そしてそれを何かしらの形で周りに伝えられたらと思う。
旅が終わると、何かと無気力になりがちだ。毎日食べるものや寝る場所が用意されていたり、予定があらかじめ決まっていると、だんだん新鮮味がなくなってくるので、日々生きることがマンネリ化するような気がする。そーゆーのが続くと、生きる意味がだんだんわからなくなってくる。豊かさで満たされることが必ずしも良いとは限らない。旅中は体がしんどいが、生き抜いてやるぞ!的な、底力が湧いてくる。
作物や海産物も、冬のような厳しい環境を乗り越えて、よりうまみが増す。満たされていることが絶対にいいのならば、養殖でぬくぬくと育った魚の方が、天然の魚の方より価値あるはずだ。普通に暮らしていく生き方は、俺にはあまり相性合わないみたい笑。
生きることについて
生きることに正直意味はないと思う。でも意味がないからこそ、その意味を自分で見つけるのが面白みであり、自分にとって意味はなくても、今日挨拶を交わしたおばちゃんに俺と会うと言う何かしらの意味があるのかもしれない。
人は役に立つために生まれてくるのではない。社会の役に立つために〜しなさい的なワードは正直嫌いだ。どこかのエライヤツが自分に都合の良い状況を作りたいからそんなこと言ってる(もしくは誰かに言わせてる)ようにしか思えない。
でも存在している理由は何かしらあるはずだ。
世の中にはいろんな生き物がいて、それぞれが絶妙なバランスで支え合い生きている。端から見ると意味のない、間抜けなようなことも実は誰かの役に立ってたりする。
リスはクルミを集める時、よくどこに隠したか忘れているそうだ。だがそうやって忘れられたクルミは、やがて新しい地に芽を出し、木となり、クルミの実を結ぶ。リスがエリートビジネスマンの如く忘れ物一切しない性格だったら、クルミの木は生えてこなかっただろう笑。
仕事が早いとか、いちど言ったことを全部覚えられるとか、要領が良いとか、計算が早いとか、それだけを評価する世の中はナンセンスだなぁと思う。足が遅いとか、忘れ物を良くするとか、運転がへたくそとか、片付けができないなどの部分も、本当は世の中にとって必要なものだし、卑下されるべきものではないと俺は思う。昔の会社には、お味噌さんというのがいて、てんで戦力にはならないが、ムードメーカーとしての役割を担っていたり、社員の手が回らない小さな雑用をやっていた。そのような存在が、組織の中でいい感じの緩みを作ってくれていたと思う。きっちり詰め込みすぎると、遊びがないから、モノも人もすぐガタが来やすくなる。
旅で楽しかった事は何か…。やはり1つの出会いが1番だった。会いたかった人に会えること、懐かしい人に会えること、偶然の出会い、一期一会の出会い…。
その人たちといろいろなことを話し、新しい視野が開けていくこと。本やネットの情報とは違い、相手や物から見聞きした情報の方が、すっと自分の中になじみ、溶け込んでいく。そこにある意味快感を感じる。
自分にとって旅とは何か…。
勉強であり、魂の成長みたいなものと思っている。行動学的な。動くことによって世の中の事や人の事などいろいろなことへの理解が深まる。これほどお金をかけずに、自分の内面が短期間で大幅レベルアップできるもの俺は他に知らない…。
特に、生き方に対する許容、日本の歴史、本当に人生で大事なもの、本当は必要ないもの、楽しく生きている人たちの共通点などが学べたと思う。旅を終えて、やりたいことが増えたことや、金がなくても生きていく自信、心の平穏やピンチを変えチャンスに変える工夫は前より磨きがかかったかな。
楽な事は新鮮味に欠けることが多い。
知恵を使った生活の中に、楽しさはある。
豊かすぎると、知恵を使いにくくなる。そうすると何かとマンネリ化する。
生活に不自由があると、知恵を使うので、いろいろな発見や学び、出会いがある。
楽しさは豊かさに寄ってくるわけじゃない。自分から楽しくしようとすることで、楽しさは湧いてくる。貧しすぎると物理的にきついので、ちょっと不自由くらいが1番ちょうどいいと俺は思う笑。
かけた日数 153日
total費用 292,016円
内ガソリン 37,425円
総走行距離 15,272km
2023年1月13日金曜日 福岡の自宅にて